ヒーリング・フォレスト~物語と癒しの森から~

心理カウンセラー・執筆家による気づきと悟りへのメッセージ

最後の言葉

あのとき、あの人と最後にかわした言葉って、何だったろう?

そんなことを、よく私は考えます。

たいてい、それはとても他愛もない、そっけないものだったりします。

そしていつも、別れは突然訪れます。おかしな話ですが、まさかその人がいなくなるなんてありえないと、根拠もなくそう信じているようなときに。

長年連れ添った奥さんを亡くした人が、かつてこんな話をしていました。

あの朝、花が好きだった家内が私に、「玄関のチューリップ、きれいに咲いたわよ」って言ったんです。

私はただ、「そう」、と答えて、仕事をしに家を出た。

それが夫婦の最後の会話になった。

もう2度と会えなくなるなら、もっといろいろ話しておきたかった、感謝を伝えたかったと、それから彼は悩み続けます。

こうした無念は、彼だけではありません。私は仕事がら、同じような相談をいくつも受けます。そして世の中には、そうした想いを綴った手記もあります。

 

普通に生きていれば、日頃から私たちはおたがいに、他愛もない、そっけない言葉ばかりかわしている、そんなことを教えてくれているのかもしれません。

別れが突然訪れたとき、私たちは激しい動揺のなかで、それをリアルに知ることになります。

人との関係も、言葉も、無限に繰り返される、日常の自動化作用によって、道端で埃をかぶった花のように、あまりにもありふれたものに見えてくる、思えてくる。

今日、この瞬間にも、いつものように、これまでのように、多くの人々が、たがいにあらゆる言葉をかわしています。

その言葉が、その人とかわす最後の言葉になるかもしれないとは、少しも思わずに。

けれども私は、その人とかわした最後の言葉が、たとえドラマチックでなくても、ロマンチックでなくても、どんなにかつまらない、そっけないものだったとしても、こう考えます。

その言葉のやりとりには、その人たちだけの歴史、関係、空気、その人たちらしさが、たしかにあったはずだと。

そう考えると、この世界で起こることは、すべてがドラマチックで、ドラマチックでないものなど存在しないとさえいえるのではないでしょうか。

言葉の力が、人と人をいつまでも繋いでいるのだと、私は信じています。

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