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ヒーリング・フォレスト~物語と癒しの森から~

心理カウンセラー・執筆家による気づきと悟りへのメッセージ

仮面の告白

いつも明るくて、ジョークばかり言っては人を笑わせていた友人に、かつて私は、どうしてそんなに陽気なのか、きいたことがあります。

すると、彼から想像もしていなかった答えが返ってきました。

ほんとうは自分ほど暗い人間はいない。絶望していて、このままではやってられないから、なんとか明るく振る舞っているだけ。

そんなことを先日、知り合いの女性から聞いた話から、久しぶりに思い出しました。彼女も、いつもはとても楽しそうにしていますが、じつは息の詰まるような生活から逃げるように、どこかへ出かけたり、楽しいこと探しに出歩いていると話してました。

なんとなく気付いてましたが、やっぱりそうか、と思いました。

 先の友人や、知り合いの女性だけでなく、どんな人の心にも、誰にもわからない闇があります。

 私のように心理学を専門にしていると、人の心が読めますよねと言われますが、これはよくある誤解で、そんなことはありません。

ふつう私たちは、よく知らない人が本当はどんな顔をしているのか、わからないものです。

とても幸せそうな人や、家族を見て、うらやましく思いがちですが、その心のなか、家庭の実情までうかがい知ることはできない。

いい部分、自分が見たい部分、都合のいい部分だけ見てしまう、見えてしまう。


そのため、よく知らなかったときには、とてもいい人だと思っていた人が、深く関わることで、じつは思っていたのとはまったく違う人だったと知り、信じた人に裏切られたように感じて、人間不信になったりします。

私は心理学の論文を読むときの息抜きに、よくブッダの古い経典に目をとおすのですが、とてもいい話があります。

ある町に、誰からも親しまれて、尊敬されている、とても温和な性格の女主人がいました。その女主人の家には、一人の召使の女の子が住みこみで働いていて、当然その女の子も、主人の外づらの良さは知っていました。

あるときその召使は、自分の主人は本当に町の人が信じているような人なのか、試してみたくなりました。いつもは早起きして家事をしていたのですが、ある朝、わざと寝坊してみました。

するとその朝、召使は自分の主人の顔に、初めて怒りの感情を読み取りました。

さらに次の朝も、召使は寝坊してみました。女主人は怒りながら、初めて召使を叱りました。

そして次の朝も、召使は寝坊しました。ついに女主人は怒り狂って、門扉を閉めるために使う重い鉄の棒で、召使の女の子が流血するまでボコボコにしたのです。

女の子は血だらけになりながら、町へ行きます。そして、これがあなたがたが、いつも親しんで、尊敬して、温和な性格だと信じている人が、私にしたことです、と公言します。

 女主人は、朝から晩まで一生懸命働く召使がいたことで、いつも温和な性格でいられて、結果として町の人から親しまれ、尊敬されていただけ、という話です。

 仮面に隠された顔というものはわからないものですが、これはいい意味でとらえることもできます。

つまり、相手の本当の顔はわからないと思えば、過剰に期待して後で失望することもなくなるし、過度に嫌っていたずらに関係しにくくなるのも避けられる。

 仮面には、美しい仮面もあれば、醜い仮面もあります。

 醜い仮面というのは、好きになれない仮面の意味ですが、いつも私たちはその人の外面から内面を想像して、判断(ジャッジ)します。

 美しい仮面の影には美しい内面という期待、醜い仮面の影にはまた醜い内面という想像。

けれども、自分がどうしても好きになれない仮面を被った人が、じつは自分とまったく同じものを見たり、聴いて感動するような人間性を持っていたり、自分の醜い想像とはまったくかけ離れた人であることは、めずらしくありません。

 自分が好きになれない仮面を被った人、きっと内面もそうだと信じている人が、ほんとうはそうではない、と思うことは、ちょっとした精神安定剤(トランキライザー)になります。

 月曜日、イヤな上司や同僚に顔を合わせたくない、とブルーになっている人は、以上のように考えることで、イヤだと思っている相手との関係が少しずつよくなったりします。これを鏡の法則といいます。

そもそも私たちは、その人の本当の顔を知りません、という話でした。

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