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ヒーリング・フォレスト~物語と癒しの森から~

心理カウンセラー・執筆家による気づきと悟りへのメッセージ

過去のあなたと現在のあなたは同一人物ですか

イヤな過去を思い出してしまうたびに憂鬱になる、イヤな過去を思い出してもとに戻るんじゃないかと不安になる、そんなことは誰にもあるでしょう。

心理カウンセリングの現場では、忘れられない記憶に苦しむ人(クライエント)には、その記憶がその人にとってどれだけ衝撃的なもので、心が傷つけられたのかをしっかり汲み取れるよう配慮しながら、クライエントの語りに徹底的に耳を傾けます。

ただここでは、ちょっと違う視点から、あくまで私が考えたことを書いてみます。

イヤな過去を思い出してしまうとき、つい過去の自分と現在の自分を比べてしまったりする。そして、比べてますます悩んでしまう。

そんなイヤな頃の自分が、変わらない今の自分にも投影されている、あるいは今がイヤだから、変わらない過去の自分にその原因を探そうとする。

ところで話は変わりますが、 私は子どもの頃から現在まで、たくさんの音楽を聴いたり、本を読んできました。

ときどき、過去に好きだった音楽を今になって聴き返してみたり、好きで読んでいた本に大人になってから目を通すと、その音楽や本のどこがよかったのかわからなかったりします。

逆に、かつての自分が何も感じなかった音楽を、今になってたまたま聴いたりすると、ちょっといいなと思えたり、以前の自分ならとても読むことはなかったような本を、現在は寝る暇もおしんで読んでいたりもする。

まるで、過去の私と現在の私が、別人であるかのように。

ずっと私は、それは自分の感性とか、感受性が変わったからだと思っていました。あくまでこれからお話することを知って、もしかしたら、私自身、過去と現在ではまったく別人になっているからかもしれない、と考えるまでは。

 人体では、1分間に2億個の細胞が死滅し、同時に同じ数の細胞が誕生しています。1日にすると、3000憶個の細胞が死んでいくことになりますが、同時に同じ数が生まれているから、何も変わっていないように感じられます。

 皮膚、胃、腸などは3、4日ですべて新しい物質になります。目の角膜も1週間で入れ替わります。赤血球は平均125日、肺、肝臓、すい臓、脾臓は4~500日で入れ替わります。脳細胞のタンパク質は約4週間、比較的ゆっくりと入れ替わるのは、骨で約5年、筋肉は約7年かかります。

そして過去から確実に継続していると思われている記憶そのものも、毎夜欠かさず、眠っているあいだに作り直されて、昔の記憶と今の記憶とは別物です。

この話は、かつて私が読んだ本『私のからだは世界一すばらしい(東京書籍)』に載っていたのですが、私たちが気づかないうちに、心と体がうみだす生命というシステムは、一瞬のうちに生と滅がすさまじい速さで入れ替わっています。

2500年前のブッダの経典のなかにも、すべてのものは瞬間、瞬間で新しいものに変化していくとはっきり記されています。

 私たちの体をつくる60兆個の細胞も、それを支える心も、瞬間、瞬間で入れ替わり、まったく別のものになっています。

 私たちの考え、思考をモデルに作られたコンピュータを例にするとわかりやすいです。コンピュータには、コンピュータが考えるときの論理を数字に置きかえた「ブール代数」というものが使われています。

ブール代数とは、0と1だけを高速で入れ替えることで情報を処理していくもので、そのあまりの速さに、パッと見ただけではほとんど止まっている、静止しているように見えます。

おびただしい数の小さなものが高速で入れ替わるために、私たちはそれを川とか光のように、遠目ではほとんど変わらないように認識しているのです。

 皆さんはよく教科書の余白にパラパラ漫画を作って遊びませんでしたか。あれと同じです。最初と最後はずっと続いていて、流れていて、同じ登場人物がコミカルに動いていきますが、最初のページと最後のページはまったくの別物です。

そういえば、同じようなことを、見慣れた海岸の砂浜にたとえた学者もいました。

それはいつも同じ形をしているように思えるが、それを構成している砂粒はどんどん入れ替わっている。押し寄せる波、そして運び去られる砂粒、風に吹かれる砂粒は毎日決まったように入れ替わっている。

つまり、海岸線を人間の体とすれば、砂粒はそれを形成する細胞。変わらずに見える海岸線も、それを構成する砂は知らない間に入れ替わっている。(福岡伸一『生物と無生物のあいだ』より)。

 人間の考えも、心も、それらすべて作り出してる人体、記憶そのものまでがことごとく入れ替わっていて、過去の私と現在の私は、同じ私のように見えている、認識しているだけで、まったく別人ということになります。

 過去の自分は、生理医学的にはすべて完全に入れ替わっている、つまり死んでいる、ということになります。

 人が人生で死ぬのはけっして一度ではなく、生きているなかで幾度となく生死を繰り返していく…。

そして生を越えた先でも、変化はとどまるところを知らず、新たな生へと命がつながっていくのです。

そのときたまたま好きだった自分も、たまたま嫌いだった自分も、時の流れとともに総シャッフルされる。

だからこそ、新たな自分として前を向いて歩いていくことができる。

 過去の私と現在の私を「同じ私」と考えて、比べて悩む。けれどもそれぞれがまったくの別人だとしたら、イヤな過去を思い出してしまうたびに憂鬱になっていた人でも、別人に対して憂鬱になるのはありえないし、イヤな過去を思い出してもとに戻るんじゃないかと不安になっていた人でも、別人が別人に戻るなんてありえません。

そもそも、私たちは過去の記憶ですら、日々書きかえ、捏造しながら生きています。昔の記憶と今の記憶とは別物で、過去のそのときのリアルな気持ちと、記憶をたよりに思い出している今の気持ちが別物だとわかれば、闇に引っ張られることもなくなるのではないでしょうか。

いつも過去を見がちな人は、歩くときに前ではなく、すっかり後ろを向いて歩いているようなもので、ちょっと危険です。

今の自分が過去からずっと変わらない、同じ自分と考えて暗く悩み続けるのか、別人と考えられて、新しい自分として、ただ前だけを見て明るく生活していけるか、それだけのことです。

 以上、過去のあなたと現在のあなたは、もしかしたら別人かもしれないと考えると、少しラクになれますよ、という話でした。